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【修学旅行】沖縄コース ~命のバトン編~ 【最終日】

11 12, 2022
※大きめの写真はPC版だとクリック、スマホ版だとタップすれば見れるようになっています。

沖縄コース・最終日。

初日から様々なことを学び、そして楽しんだ修学旅行。
最後の日となる4日目は、「命」とは「戦争」とは「生きる」とは。
これらを考えて、これからの「生き方」を考えていこうと思います。

今までとは少し熱量が変わります。
どうぞ、最後までお付き合いくださいませ。

この日は比較的過ごしやすい朝でした。
77年前の当時、デイゴの花が咲き乱れんとする沖縄本島に、アメリカ軍の脅威が迫ります。
沖縄本島上陸は4月1日ですが、「沖縄戦」自体は3月26日の「慶良間上陸」をもって始まります。
島民のほとんどは「日本軍の軍艦が来てくれた!」と、歓迎モード。

ところが…

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我々一行は糸満市にある平和祈念公園に到着。
まずはじめに、平和祈念資料館へ。

※展示資料は写真撮影ができません。文字だけの解説となりますが、なるべく皆様には臨場感をお伝えできればと思います。ご了承ください。

入場券のチェックを待っていると、私が乗る号車の生徒が

「先生!私たち全然歴史がわからないので解説してください!」

都道府県によって平和学習は温度差があります。
しかし、このように若い世代が一生懸命学ぼうとする姿は本当に尊いです。

展示資料は琉球王国の歴史からというより、明治政府が断行した「琉球処分」からでした。
チャートにするとこんな感じです。

「近代の沖縄」→「15年戦争とアジア・太平洋」→「アジア太平洋戦争の動き」→「沖縄戦の前夜」

「日本史じゃなくて世界史だから余計にわかりません」と生徒。

「琉球はもともと外国扱いだったから、世界史とも繋がっているよ。3年生でこのあたりの内容は習うから覚えておいてくださいね」と返事。

ほどなくして沖縄戦のコーナーへ。
そこには「戦争」ではなく、「戦場」のリアルが映し出されていました。

※著作権の関係上、ここに掲載ができないため、「毎日新聞」が特集している写真のリンク先を載せておきます。ぜひご覧ください。この中には実際に資料館で展示されているものもあります。
沖縄戦特集

・民家脇で爆撃に巻き込まれ、多数の屍が折り重なっている写真
・前も後ろも右左もないほどの「鉄の暴風」に巻き込まれて死亡した子どもの写真
・戦死した日本軍の従軍看護婦の遺体から、手榴弾を抜き取るアメリカ軍兵士の写真
・火炎放射器で容赦なく焼かれる沖縄の大地
・泥まみれになって突っ立ている幼児の写真
・戦死した戦友の死を嘆き悲しむアメリカ軍兵士の姿

などなど…

「怖い。どうしてこんなことをするの…」
戦争に、日本もアメリカも関係ないんだね。死ぬのは一緒…」

このように、普段ではなかなか聞くことのできない生の感想を聞けるのも、資料の破壊力がとてつもないからですね。

常設展示の脇にはガマを再現したモニュメントがありました。
解説を聞いている生徒2名が

「怖いけどちゃんと見たい」

と言うので、そのまま一緒に見て回ることにしました。

モニュメント内では…

・泣き叫ぶ赤ん坊に対して、日本軍兵士が「黙らせろ」と銃剣で威嚇している場面

が表現されていました。

「え?これアメリカ兵じゃないの?日本人が日本人にひどいことをしているの?」

ガマに兵士が潜んでいることを、アメリカ軍に見つかってはまずい…

そんな理由があったわけですが、現代人にこの状況は理解に苦しみます。
しかも、断腸の思いだとは言え、「我が子を手にかけている」シーンですからね。
同じ親として、胸が引き裂かれる瞬間です。

これら沖縄戦の悲劇を写真で見て回った後は、証言室へ。
ここには、沖縄戦で様々な体験を証言した資料が「大きな文字」と「日本語とそれ以外の言語」で展示されているところです。
先着した生徒数名も、席に座って丁寧に読んでいました。

私は、同行していた生徒に

「君たちと同じ年齢、そうだね、当時17歳前後の証言もあるからそれらを読んでみてごらん」

と言いました。
子どもたちと同じ年代の人たちが、当時どのような思いで「生きていた」かを見てほしかったんです。

別場所からはすすり泣く様子も…

「私らじゃあ絶対できん」

と言いつつ、ほぼ絶句状態の様子。

ひとしきり読み終えた生徒たちは、「あめりか世(ゆ)」の舞台、1945~72年までの沖縄の様子を展示したコーナーへ。

「道路が逆?これが占領されるってこと…」

戦争が終わり、平和になったこの時代でも、沖縄の人々が安心して暮らせる世が訪れたかどうか。
実際に沖縄に住む人々が、これまでにたくさんの答えを教えてくださいました。

解説付きの見学だったため、他の生徒たちより少し遅めに資料館の外へ。

いよいよ平和の礎がある公園の中央部へ。
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平和を象徴するモニュメント。
6月23日の「慰霊の日」には平和の灯が…
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私が今回、皆に伝えたいと思ったテーマの一つ。
個人名が刻銘されているので全容は写せませんでしたが、これは戦死したアメリカ兵のご遺族が手向けたであろう献花です。
先述しましたが、戦争に日本人もアメリカ人もない、ということを否が応でも伝えてくれる写真として撮影したつもりです。
誰しも「死」は悲しいということ。
そこに人種や民族など関係ないのです。
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そして、自分の苗字が気になるのか…
それらを探し回っている生徒もチラホラ…
分かり辛くて申し訳ありません。どうしても顔まで撮影すると個人名が出てしまうのです…
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数字で学ぶ戦争。
確かに数はいろいろなことを考えさせてくれます。
多数の学童を乗せて疎開しようとした途上、アメリカ軍の潜水艦により撃沈された対馬丸も載っています。
ちなみに「対馬丸」は記念館もありますよ。
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こちらは講堂。
学校のよってはここで式典を行い、千羽鶴を贈呈するという一幕もあります。
今回我々は、時間の都合上足を運びませんでしたが。
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さて、平和祈念公園での見学が終わると、次はガマの見学です。
ガマとは洞窟のことで、沖縄言語の1つですね。
祈念公園から15分程度、目的地はアンティラガマ。
200mもある深いガマですが、実際に深いところで潜んでいたのは日本軍兵士であり、民間人は入り口すぐにある大広間のようなところにいたそうです。
今回の語り部さんである吉本さん(4号車の語り部さんです)。↓
ご自身は沖縄戦の経験がないそうですが、証言者の魂を引き継いで、若い世代を中心に「沖縄戦の証言」をありのままに伝えています。

真剣に聞き入る生徒の様子です。

※後日、語り部さんの証言をアップします(ご本人の許可はいただいております)。

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では、いざガマ内部へ。
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気分が悪くなる子もなく、順調に洞窟へと足を運びます。

入口からすぐのところにある大広間のような場所で、吉本さんがこう言いました。

「今すぐ明かりを消してちょうだい」

アンティラガマは比較的明るいガマです。
とはいえ、少し奥にいるためか、薄暗い中で再び吉本さんが語り始めました。

話を終えた後、明かりをつけ上を見上げると…

黒い「すす」の様なものがあたり一面に広がっています。
なんとこれ…

火炎放射器で焼かれた跡

なんです。
ここでどれほどの凄惨な光景があったか、想像を絶するに余りありますね。

ちなみに日本軍兵士が隠れていた200m先の洞窟は、天然記念物のコウモリを守るため、現在立ち入り禁止になっています。

ガマから出て戦績入り口付近まで戻ってくると再び吉本さんから衝撃の話が…

「沖縄戦はもう終わっていると思っているでしょ?まだね…

終わっていないよ」

沖縄本島南部は、特に激戦地だったとこもあり、多くの戦争遺構がありますが、それと比例して不発弾も膨大に眠っているのだとか。

鉄の暴風で撃ち込まれた弾数は約20万発。
日本本土に撃ち込まれた弾数は約10万発。

面積と弾数がかみ合っていませんね…
これら不発弾の処理が完全に終わるのは70年後だそうです。

最後に語り部・吉本さんはこう皆に訴えかけました。

「不発弾が処理されたころには私はもういない。でもあなたたちは生きています。だからこの事実を、次の世代に伝えてほしい。」と。

道中、バスガイドさんも同じようなことを我々に伝えてくれましたね。

「今私がこの世に生を受けているのは、祖先のおかげです。こうやって子々孫々戦争のことを語り継いで平和を守っていく。これが命のバトンなんです。」と。

私がサブテーマとして書かせていただいた「命のバトン」は、この意味も含まれています。
しかし、私が一番お伝えしたいのは「語り部さん」が話してくださった最後の言葉…

「戦争の惨禍を次の世代に伝えること」

これに尽きます。

冒頭にも少し触れましたが、平和教育は住む地域によって温度差があります。
私たち教員も、普段から平和のことばかり考えていては生活ができません。

だからこそこういう時間を特別に作っていただいてご家族でお話をされれば、平和について考えるきっかけになると思います。

特別でいいんです。

私たち教員は、教え子を戦争に行かせることはしません
そして、親としても我が子を戦場に送り出すこともしません

この修学旅行を通じて、「ふぃ~あ(平和)」と「やーにんじゅかなさすん(家族愛という意味に近い)」がさらに深化すれば幸いです。

長文にもかかわらず、ここまで読んでくださったブログの読者様、お付き合いいただきありがとうございました。

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